ローマ字関係の本
                     
を少しづつ紹介します.
( "Kitta-Hirokuni:日本のローマ字運動"の写真も使わせていただきました.)



*1549年(天文18)Xavierがローマ字を持ってきました.   
*1590年(天正18)
Valignaniが活版印刷機を輸入しました.  

これにより,たくさんのローマ字の本が出版されるようになりました.




天草本「平家物語」(1592,文禄1年)大英図書館





溝口博幸編著:FEIQE MONOGATARI 翻刻版(2002-3,大東文化大学発行)
は,新しく組み版したもので,読みやすいばかりでなく,
くわしい注釈もあり,当時の発音までよくわかります.
(むかしのローマ字の本がむかしの日本語の研究に役立っています.)





天草本「イソップ物語」(1593,文禄2年)大英図書館

上の天草本2冊の原本は,大英図書館にありますが,
「勉誠社」から写真版が発行,手に入れることができます.

「漢字」や「かな」は,日本語を正確に書き表せませんが,
「ローマ字」で,むかしの日本語をくわしく知ることができます.




*江戸時代にも,ローマ字の本はたくさんでています.
おいおい紹介していきます.



*明治維新のころ.

前島密(郵便制度の父)の「漢字廃止論」,

南部ヨシカズの「ローマ字論」などが有名ですが,

西周(Amane)の論文は,「完成されたローマ字国字論」として,注目されます.



明治6年(1873),森有礼,福沢諭吉,西周ら

近代思想家があつまって「明六社」を作りました.

その機関誌,「明六雑誌」第1号は

1.洋字ヲ以テ国語ヲ書スルノ論       (西   周)

1.開化ノ度ニ因テ改文字ヲ発スベキノ論  (西村茂樹)

と,全編「国字改良論」でした.

西周の論文は,はじめての完成された「ローマ字国字論」です.

山室信一,中野目徹校注:明六雑誌(上)(岩波文庫)にあります.



*「羅馬字會」できめた「ローマ字文のかきかた」(1885)



外山正一の呼びかけで,「羅馬字會」が1885(明治18)にできました.

すぐ5000人を超える会員となりましたが,

まず「ローマ字文の書き方」をきめる必要がおこり,短期間に作ったのが

「羅馬字にて日本語の書き方」です.

全文は,付属図書館「ローマ字文庫」にありますが,その特徴は

1.つづりの母音はイタリア語流,子音はイギリス語流の方式.(ヘボン式)

2.仮名遣いによらず,東京語の音韻にしたがう.              

3.ことばの切り離し(分かち書き)は,現在の書き方に近い.       


現在,読んでも価値のあるものです.

つづりかた以外は,このままでも十分実用になります.
こんな機関誌もできました.

「羅馬字會」の機関誌第1号(1885,明治18)



*日本式ローマ字の原典(1885)
「ローマ字国字論」は,
漢字からの独立
を目指したものでした.
母音のイタリア語は世界共通ともいえるものですが,
「子音はイギリス語」というのは納得できません.
英語からの独立をとなえた
「日本式ローマ字」を主張する論文2編を
Tanakadate-Aikitu(田中舘愛橘)が発表しました.





「本会雑誌ヲ羅馬字ニテ発兌スルノ発議及ヒ羅馬字用法意見」(理学協会雑誌16巻,1885)

は,日本式ローマ字の原典といわれ,「ローマ字文庫」に載っています.

この内容は,大筋として3項目からなっております.

1.この雑誌をローマ字で発行すること.簡単なローマ字論です.         

2.外国語で日本語を写すのではなく,日本語の音韻を表す.日本式ローマ字.

3.ことばの論理的な意味の単位でのことばの切り離し.田丸文法の基礎.  

たとえば,                              
sannin no Oya ・・・・ (子供が)3人 の 親    
sanninno Oya ・・・・ (何人かのこどもの) 親3人
などです.





前の論文「・・・用法意見」には,「音韻」ということばや「音韻論」の考え方が,
随所に見られますが,「音韻論」が生まれたのは50年後のことです.     
N.S.Trubetskoi の「音韻論(Gruntzüge des Phonologie」ができたのは1936です.
「音韻論」の先駆けともいえるものでしょう.

「発音考」は,     総論のほか                                
A.音を発する道具並びに其の発し方                 
B.発音の性質                  母音,子音など.  
C.音を伝える中立(メヂーム)     媒質(空気)のこと.   
D.音を広むる近辺の場所の有様    周りのこと.       
E.音便の訳,並びに書き方の事.                  
F.発音の取調方                             
などがくわしく論じられております.
J.P.Rousselotの「実験音声学」 Principles de phonétique expérimentaleがでたのが
1897−1901ですから,「音声学」の先駆けともいえるでしょう.
特に,F.では,いろいろな実験方法,測定器の案がしめされていますが,
ほぼ同じものが数十年のちに作られています.  
            






*石川啄木に影響をあたえた「ローマ字詩集」





土岐哀果(善麿)のローマ字詩集「Nakiwarai」.(1910,明治43)


ローマ字ひろめ会から出版したのでヘボン式ローマ字になっていますが,
土岐さんは,もちろん熱心な日本式ローマ字論者です.          

この詩集が,石川啄木に影響を与え,啄木が3行の詩を書いたといわれています.


*「日本のローマ字社」

田中舘愛橘,芳賀矢一,田丸卓郎(いずれも東大教授)は,日本式ローマ字の図書を
出版するために「日本のローマ字社」を作りました.(1911,明治44,1915年に財団法人)




月刊「ローマ字世界」のほか,たくさんの「ローマ字書き専門書」も発行しました.
(「ローマ字世界」の一部は,付属図書館:ローマ字文庫でご覧になれます.)
田丸卓郎:振動,寺田寅彦:海の物理学,池野成一郎:実験遺伝学,などの広告が
でていますが,田丸卓郎のRIKIGAKU NO KYOOKWASYO は多くの高等学校の教科書
として使われました.  
                       

寺田寅彦:海の物理学




「ローマ字世界」2の巻,第6号表紙の裏


「ローマ字世界」2の巻,第7号表紙の裏

「賛助員」には,東京帝国大学を中心とした学者が目立ちますが,
乃木神社にまつられている乃木希典陸軍大将も,寄付金を払って運動
に加わっておられたことが分かります.第3号が明治天皇の追悼号,
第4号が乃木将軍の追悼号となっています.                

菊池大麓東大総長はじめ東大系の学者が目立ちますが,            

東北大学の沢柳政太郎総長や,本多光太郎総長など,             

京都大学では,岡田良平(第2代),菊池大麓(第3代),沢柳政太郎(第5代)

総長の名前もみえます.
            





1949年(昭和24)1月号の一部

このころは,まだ大変な時代でした.
三浦三郎さんが,給料の中から「名刺用の手刷り印刷機」を
買って,自分で活字を組み,一枚一枚手で押して印刷されたもの.
「ローマ字世界」が現在まで続いているのも三浦さんのお力が多い
といえます.












少年用月刊誌「ローマ字少年」第1巻第1号(1918,大正7)

少年,少女用の雑誌もできました.



「ゆりかご」創刊号

幼児むけの雑誌もできました.




「ローマ字の日本」第1号(1928/01,昭和5)

大人むけの雑誌も増えました.



「ローマ字の日本」578号(田中舘愛橘50年記念号)(2002/05)

財団法人日本のローマ字社では,幾種類もの雑誌を出してきましたが,
「ローマ字世界」と「ローマ字の日本」とは現在も続いています.
「ローマ字世界」は,社団法人日本ローマ字会
「ローマ字の日本」は,財団法人日本のローマ字社
の機関誌となっています.          



*Tamaruのローマ字文法

物理学者・田丸卓郎は日本式ローマ字運動を進める間,

日本語学,日本文法の研究につとめた.その結果,

Pocket Handbook of Colloquial Japanese

を日本のローマ字社から発行しました.(1920,大正9)

「仮名遣いを調べるためのかなもじ文法」から,

「日本語を知るためのローマ字文法」

進む第一歩が始まったのでしょう,


ドイツ語版もできました.(1940)







*日本式ローマ字運動のバイブル



田丸卓郎は,「ローマ字国字論」を日本のローマ字社から出版しました.
(1914,大正3,1932年からは岩波書店から出版されています.)

さらに,                  
田中舘愛橘が「羅馬字用法意見」で提案したローマ字文の書き方を完成した

「ローマ字文の研究」をおなじく日本のローマ字社から出版しました.(1920,大正9)

この2冊の著作は,Tamaruの理学者らしい厳密な論理で完璧といえる形で

できていますから,長年の間「ローマ字のバイブル」と位置づけられてきました.



*Tanakadate-Aikitu の活躍

          
1912年(大正1) 日本のローマ字社ができた頃                  貴族院での演説            

田中舘愛橘は,1885年の2論文以後,「ローマ字新誌」の発行(1886)や,

財団法人日本のローマ字社,社団法人日本ローマ字会などをつくってきましたが

1917年(大正6)東大教授を辞め,1925年(大正14)学士院代表の貴族院議員と

なりました.

東大退職後は,ますますローマ字運動に活躍しました.       



1941年(昭和16)の,貴族院での演説.

毎回のローマ字演説は有名で,「ローマ字議員」と呼ばれました.


   
このような英語(左)やフランス語(右)の刷り物をいろいろとつくって

世界中をまわって日本式ローマ字運動をおこなった.



1950年の「日本物理学会誌」などにも,
このようなローマ字文を書きました.



右から:「葛の根」ふるい論文がたくさん載っています.

「中村清二:田中舘愛橘先生」という伝記があります.

1948年に書かれた随筆  「Toki wa uturu」




1952/05/21に95才でなくなりました.

サンフランシスコ講和条約発効後1月足らずでしたが,
東大安田講堂で,国民葬にかわる日本学士院葬が行われました.





新聞,雑誌や多くの学会誌で特集記事がつくられましたが,

社団法人日本ローマ字会では「巨人のあしあと」をつくりました.



*古典のローマ字書き

「ローマ字にすると,古典が読めなくなる!」

という人があります.





Tanakadateがなくなったとしに,
「田中舘愛橘,田丸卓郎先生に捧ぐ!」
として,「ローマ字教育会」は
「口語訳・古典のローマ字書き」の出版を始めました.
















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