日本語のローマ字化を説いた
早稲田大学の創立者

Ookuma-Sigenobu (大隈重信)
(1838-1922)
佐賀城下において父信保,母三井子の長男として生まれる.
1845年,藩校弘道館に入学して朱子学を学ぶ.
1855年(安政2),学風改革の運動で退学となり,蘭学寮に入って洋学を学ぶ.
1865年(慶応1),長崎に英学塾「致遠館」をつくる.
幕末には,京都・兵庫・長崎などで尊皇攘夷の運動で活躍した.
1868年(明治元)外国事務局判事,外国官副知事,1869年(明治2)大蔵大輔.
1882年(明治15)4月立憲改進党を結成して,総理となる。
1882年(明治15),東京専門学校(のちの早稲田大学)をつくる.
1888年(明治21),50歳で外務大臣.
1898年,憲政党を結成し第一次大隈内閣をつくる.
1902年(明治35),東京専門学校を早稲田大学にする.
この頃,「文字の維新革命」と題する「ローマ字採用論」を発表.
1907年,早稲田大学総長となる.
1914年(大正3),第二次大隈内閣をつくる.
1922年(大正11)死去84歳.日比谷で国民葬が行われた.
Waseda no Ôkuma Sensei, Keiô no Hukuzawa Sensei, tomo ni “Kanzi Haisi” o
tonaete imasu.