漢字全廃の準備としての「漢字制限論」
慶應義塾の創設者

Hukuzawa-Yukiti (福沢諭吉)
(1835−1901)
大阪堂島の中津藩蔵屋敷で生まれたが,父の死により一家は郷里中津に移った.少年時代には地元で漢学を学んでいたが,封建制度の矛盾を感じて21歳のとき,大阪・緒方洪庵の適塾に入って蘭学を学ぶこととなった.
1858年,江戸築地の中津藩邸内に塾を開いた.その後,独学で英学を学んだ.中津藩で開いた塾が現在の慶應義塾の元となった.
1901年(明治34)66歳でなくなった.
1873年発行の「文字の教」の端書で「日本ニ仮名ノ文字アリ ナガラ漢字ヲ交ヘ用るは甚ダ不都合ナレドモ・・・漢字ヲ全ク廃 すスルノ説ハ願フ可クシテ俄ニ行ハレ難キ事ナリ・・・今ヨリ次 第ニ漢字ヲ廃スルノ用意専一ナル可シ其用意トハ文章ヲ書ク ニムツカシキ漢字ヲバ成ル丈ケ用ヒザルヤウ心掛ル事ナリ」
と,漢字全廃のために,漢字を制限することを説いている.
“Ten wa hito no ue ni hito o tukurazu.”to iu
yûmei na kotoba ba. Minsyusyugi sono mono de ari,
Rômazi Kokuziron no yô na Kokugo Minsyuka no
konpon o toita kotoba no yô ni kanzimasu.